なまけもの活動日記

ゲームや音楽、サブカルチャーがすき。

古典を学ぶ 物語の続きを考える

雨は嫌いではないけれどこれだけ続くとちょっと嫌だなあと思います。ちょっとジメジメした気持ちですが今回の振り返りをしていきたいと思います。

 

今回は三回目。源氏物語の続編について掘り下げていっていただきました。そこから自分達でも考えてみようというワークです。

源氏物語

 まず、源氏物語の説明からして頂きました。源氏物語というのは三部構成になっていて

一部 光源氏天皇になる

二部 光源氏がなくなるまで

三部 光源氏の死後、その子孫たちの話

という構成。三部は初めて知りました。あまりぱっとしないというか試行錯誤感があるそうな。靄っとした終わり方になっている。

三部の内容として、薫(源氏の息子、しかしほんとの父は柏木)とライバル兼親友ポジの匂宮がヒロイン浮舟に思いを寄せますが、浮舟は薫に匂宮ともよい雰囲気になったことが露見したらどうしようという思いから命をたとうとしたところに現れたお坊さんに助けられ、そのまま出家。薫は浮舟は自殺したというウワサを聞いていましたが、生きているということをお坊さん越しに聞き浮舟への手紙を彼女の弟越しに届けますが浮舟は弟にすらあわずに、という形で物語が終わります。

率直な感想はなんかもう家系図がすごい。匂宮は薫が光源氏の直の息子、ということで嫉妬みたいな感情があったそうだけど、薫は実の息子じゃないっていう。薫が浮舟を姉に似ているっていうのもなんかもう関係性が地獄じゃないですか…あとこの時代から登場人物の関係性(三角関係みたいな)のが現代の作品でも人気、よくある構図っていうの面白いなって思いました。昔から変わらない好まれるものなんだろうか。個人的には浮舟の最後会わないって選択は好きで、そんなにもやもやしなかったんだけど、確かになんで書いたんだろう、とは思いました。もやもやする読者が多かったならその時に求められていた物語の結末の方向性ではなかったんだろうし。

なんで紫式部は三部を書いた?

これは先生から出された問です。私はこの結末について考えて欲しい・そこから続きを書いてほしい、と考えていたのかなと思いました。大多数の人にもやもやさが残る結末にしてあるからこそ。他の人の考えだとこんなのがあって、

・四部があった

・誰かのため

・人気があって望まれたため

ああ、なるほどなあ、って思いました。個人的には誰かのためっていうのがとてもいいなって。確かに、受け取る誰かが決まっているのならば、その人にとってはもやもやしない結末なのではないか、そもそも読み解けるものが違うかも、と納得。あと普通にエモくて好きです。他の二つもなるほど!だしそうだよね!って感じです。人気があれば嫌でもかくかもしれない。実際に有力視されている考え方として

・浮舟を自分と重ねて自分のために書いた

・言葉のである時代的特徴からみて、妹が書いた作品である

というモノがあるみたいです。言葉の特徴から作者が違う説おもしろいな…と思います。当たってなくてももし紫式部が書いていたならめちゃくちゃ文学的流行の最先端にいた証明ぽくてなんかいいなあ。

 

続きを考えてみる

ここからグループで続きを考えてみました。まずは物語の把握から。そこからどうするよ、って感じになったんですけれど「だれかころそう」という鶴の一声からとんとん、と割と決まった印象です。じゃあなんで?だれが?どうして?ってなった時にまた別のメンバーから「ボヤ騒ぎにしよう!!」と天啓が。そこから決まった物語が

薫は浮舟への思いも尽きなくて、浮舟も現世への未練が尽きなかったところに、浮舟の住んでいた場所でボヤ騒ぎが起きる。何とか逃げ出したが、力づきて倒れているところに薫がボヤ騒ぎ聞きつけおとずれる。互いに思いを伝えるが、浮舟は亡くなってしまい、姉や浮舟など大切な存在をなくした薫は光源氏のように女性を渡り歩くようになってしまう。

 

です。私はほんとにアイデアだしが苦手で、今回は文を書く係でしたがこれほんとすごい。他にも浮舟が母親に会いに行くという案なども出ましたが、最終的にボヤがあれど思いが伝わるというルートをくぐりながら、薫が光源氏2世になるという輪廻で終わるの完璧というか天才だな、とメモを取りながら思いました。浮舟がなくなった、で終わってもよかったはずだけど最後にそのひらめきがでてくるのは、自分では絶対無理だったのでほんとに二人に感謝です。グループワークだと予想外のひらめきがいっぱいで面白い。あと、すってアイデア口に出せるのすごく大事だな、と思いました。なかなか「だれかころそう」とかって言えないかもしれないけど、臆せず言ってくれたからこそ今回の話が出来上がりましたし、ちょっとしたひらめきでも口にだす、って重要でそれを拾えるようにならないと、と思いました。二人に今回かなり頼ってしまったので私はアイデアを出すという基礎から訓練しなくてはと再確認。インプットとアウトプットの練習いっぱいします。

他のチームの作品も面白くてびっくり。恋愛アドバイザーや駆け落ちなどアイデアの違いに驚きました。実際に話してもらった四部に近いもの、共通項もあってたのしい。またメンバーが違えば違う物語の続きができていたんだろうなと思うと面白いです。

 

何故私たちは古典を学ぶのか

私は今回のお話を通して、やっぱり古典を通して今とは違う価値観や考え方を取り入れ、考えるためなのかな、って思いました。変わるモノ、変わらないモノはあるけれどそれらを考えることってすごく大切ですごく難しい。まず自分の価値観とかって早々変わらないけれど古典を通してちょっと今とはちがうそれに触れると「なんでかな」と考えるきっかけになると思いました。たぶん、現代のものでも違う価値観にふれて考えることはできるけれど、古典という昔のものだからこそ考えられることがあるはずだと思います。まだ、こんなもの!とまでは言えないけれど…。それに、古くから残っているものだから多分、現代にはそぐわないものもあるだろうけど、今とは違っても大切な価値観や考え方があるはずだとも思う。

 

古典を高校の授業とはちょっと違う形で教えてもらってきて、古典て遠巻きにしちゃいがちだけど、音楽や映画を見るようにもっと身近に楽しめるものなのかな、とも思いました。変わらない考え方とか好まれるものとかを知るのも純粋に面白いし、そうやって視点を広げていけたらきっと、色々のものをこれから見ていく中で楽しいし、面白いし、気づけなかったものに古典ならでは知識や価値観で出会えるはず。(現にここ数日見てた舞台配信の地獄のような家系図をみて源氏物語か??って思ったりした)なんだか古典が学ぶためにも、自分が好きな何かをもっといろいろな方面から感じるためにも大切なものに感じられました。

横山先生ありがとうございました!

もう気づけば7月です。物凄くこの半年間は体感短かったなと思います。ほぼ家にいたからでしょうか。さてさて今回も古典のお話を聞いていきます。

 

君の名は。を古典から見てみる

 君の名は。は好きな映画なのでわくわくしながら受けました。天気の子はもっとすき。個人的にはめちゃくちゃ色と言葉がきれいな映画だったなあ、と思います。RADが好きで見に行ったら映画の色々なもののきれいさに驚いたことを覚えています。なので今回どんなふうに古典から見ていくのだろう、と思っていたら、今回はどんな古典文学が元になっているかから見ていく形でした。

 

 そして、主な題材となったのが「とりかえばや物語」と「夢としりせば」です。もともと、この映画の企画書は「夢と知りせば(仮)ー男女とりかえばや物語」だったそうです。

とりかえばや物語

私はの方はたぶん初めて知りました。内容は男女の兄弟が入れ替わるモノみたいですが、最終的には元に戻るそう。君の名は兄弟ではなかったけれど確かに踏襲してる。少し興味があるので今度読んでみたいなと思います。

「夢としりせば」

これは小野小町がかいたもの。これはどこかで教科書で見た記憶があります。

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
想いながら眠ったのであなたを夢に見たのでしょうか。夢と知っていれば目を覚ますことはなかったのに

古今和歌集にのっている夢三部作の一つ。確かに夢の中で主人公たちが出会うところもこの歌をイメージさせますね。またこの歌は珍しい当時とは逆のパターンだったようです。夢というのは不思議な出会いのことという認識だったみたいですがこのころは

夢に出てくるのは相手が自分を思ってくれるから

というパターンですが

自分が思っているから相手が夢に出てきた

という考え方みたいです。確かに女性のもとへ男性が通うような時代では珍しいけど評価を受けたってことはやっぱり共感したりこの考え方が琴線に触れたんだろうな。どちらかというと後者の方が現代でもよく考えられるパターンではないでしょうか。そう考えるとものすごい影響力です。

 

ストーリーの引用・変奏

 これは今回お話されたテーマです。なんでも、物語が変奏される背景には、写実者が本文に書きたすという行為があったようで。私は初めてこれを知ってびっくりしました。だってそれは最初のストーリーが失われる可能性があることであり、筆者が書きたかったものじゃないかもしれないし、現代では到底できない行為です。ですが昔は本を読む→本を書く→内容を変える、というのは割と自由な行為だったみたいです。良ければいい、みたいな。とりかえばや物語も無名草子も書き換えられたみたいで、初めはどんなだったんだろ…って思います。でも、現存してる物語も実はオリジナルとは異なってるのかも、って考えたらちょっとロマンがあるかもです。なんだか異なったりしてるというのはグリム童話みたい…と思いました。

 

課題「物語を引用・変奏しながら表現したい内容は何でしょうか」

私は、何かの物語においてそれに他の物語を引用・変奏しながら表現したいことは、元の物語における空気感とか価値観なのではないかと思いました。それを肯定するにしても否定するにしても、作品に引用してくる物語の考え方だったりを持ってくることでイメージだったり雰囲気を表現したいのかと思います。また、その作品が古典のような遠い昔のことであるなら、当時の価値観などと比較するような役割も持っているのではないでしょうか。

君の名は。で考えてみようと思います。この作品だと、「とりかえばや物語」を持ってくることで男女の入れ替えを表現しています。また元の性別に戻るところも同じです。ここから、とりかえばやは親が望んだという一端があっても、性格が男「らしい」女「らしい」(あんまりこの表現は好きではありませんが)が実際の性別と違う兄弟は「自分が違う性別だったら」と思ったことがあるのではないでしょうか。君の名は。の主人公達もそう思ったことがあるかもしれないとも思いますが、彼らは性別+「違う自分(人間)になりたい」と思っていたのではないかと思います。三葉が「来世は東京のイケメン男子にしてくださいー!」って言ったのがすごく印象に残ってますしそう言えるんじゃないかなと思った理由です。

だから私は一つに、「違う自分に(性別や環境など含め)なりたい」と昔から人は思っている。ということが表現したいことの一つだったのかなと感じます。私も思ったことあるし、現代でも思ったことあるはずです。別の人間や性別への憧れ、そして実際にそうなったら?ということ、元の性別になることからもしかしたら最後は自分に戻る、どんなに願ったとしても自分以外にはなれないというある種残酷なことも表現しているのかな、と思いました。だからこそ君の名は。では二人の主人公が未来・過去を変えるために自分としてできることをやっていたのかな、と。

「夢としりせば」から考えます。これはこの歌の雰囲気を持ってきたかったのかな、と思います。夢で逢う、もしも、入れ替わりが唐突になくなるなら覚めなくてもよかったとか。夢であうという独特な雰囲気を表現したかったためではないでしょうか。または、女性から行動する(考える)ということも、君の名は。では男女二人の主人公が行動を起こしていたこと、男性だけが動くのではない、女性だって行動する、みたいな表現をしたかったのだろうか、また入れ替わりを夢を見ている、と作中で表現したことから歌が持つ独特の儚さのような空気感を表現したかったのかな、とも思いました。

最後に、黄昏時のようなものも含めて古典を持ってくることでタイムパラドックスもの時間がゆがんでいる独特の時間の概念みたいな空気を表現したかったのかな、って思います。うまく言葉にできませんが…

 

こんな感じで色々考えましたが、難しいなとおもいます。よくオマージュしたりする物語はあって、元ネタだ!と読むことはありますが、ここからこの単語や表現は来てるな、とは思ってもじっくり考えたことはなかったのであたまこんがらがってます。でも、古典を普通の授業では見れない角度から見れるのは本当に色んな発見があって楽しい。次回も楽しみです。

古典をしてみる

レポート苦手すぎて日々時間をレポートに吸われています。一個終わったら一個新しく来るのエンドレス感がやばい。そんな中、古典をゼミでやることになりました。

 

今回教えてくださるのは大阪工業大学の横山先生です。まず最初に、古典についての質問をいただきました。

古典は本当に必要なのか?

まず初めに私は古典が個人的には好きな方です。というか国語が好きなので、古典もって感じです。でも現国の方が好きで、古典は物語として読むなら好きだけど、文法だとかテストだとかになってくるとあんまり進んでやりたくはない、って感じ。なのでどんなイメージ?って聞かれたら文法とかがやばい教科ってイメージが先行してしまいます。そして古典は必要なのかっていわれたら、私は必要じゃないかなあ、と思います。でも日ごろ使うことはないものでどう必要??って言われたらちょっと困るけど、ちょっとした古典のものとかは知識としてあると会話が楽しかったりするイメージがあります。歴史とかもそうかな、個人的な体験かもですが。というよりは読み物が好きだから必要って思うのかも?

私たちにとって古典とは

昔のことを知るもの、というイメージが一番強いです。でもって読み物。私の頭の中にはたぶん個人的な古典のイメージが2つあって、授業としての古典と読み物・雑学などとての古典みたいに分かれているのかなと思います。だから上にイメージになるのかな。

古典を学ぶ理由

上の質問とも被るけど先生があげてくださった理由の回答として、

・面白い・楽しいから

・日本のアイデンティティ

・現在を逆照射する、近代を相対化できる

・今の「当たり前」を疑える

なるほどなー!!って思いました。何方かといえば上二つのイメージが個人的には強くて、した二つのイメージはそんなになかったんですけれど、意識的に読んでいけば下の二つって古典でしか(歴史でもできるけど、古典の方が)できないことだよな、って思います。意識してなくても、登場人物とかの行動に対して「ナンデ??」とか古典読んでて思うことはあったなあ、って思いだしたりして確かに凝り固まった当たり前を疑うには大事のものかなと思いました。

 

徒然草 硯にむかひて

今度は徒然草の最初の一節をみて不思議に思うところは?という問いをされました。正直さっぱりわからん!!って感じ。訳も高校の時とかにやってるからか思い出せるし、解説もしてもらってたので不思議ってなんだ?って感じでした。ここで引っかかて欲しかったのは「硯にむかひて」部分らしいです。言われてみれば確かになんで机じゃないんだ!?って思いました。現代で言うと鉛筆とかになるんだろうか。わかんないけど確かに違和感があります。私の中では硯という言葉だけですでに頭には硯が机と紙とセットで情景描写されていたから気付かなかったのかな。じゃあ、これをどう分析する?ってなった時に2つやり方があるみたいです。

・前の時代の人がどんな表現の仕方をしたかを調べる

・その作者が同じ表現をしていないか

で調べたりするみたいです。2つ目は私もよく歌詞とか本とか、色んな好きな作家さんとか作詞家さんが良く使う表現だなあ、と気になって調べたりすることが多かったんのでコメントしたのですが古典においても同じようでなんかうれしい。上のやつも説明聞いていくうちによく本でみた…!!って感じで、今も昔も変わらないのかな、って思いました。本歌取りみたいな感じなのかな。そしてここで出たのが米津さんの「Lemon」です。いきなり好きな歌手が出てきてめちゃくちゃ動揺しました。この曲は高村幸太郎さんの「レモン哀歌」を引用しているとのこと。記事読んでたのにね…引用元の名前が思い出せずちょっと悔しく思いながらお話聞いてましたがすごく身近に古典というかその手法というかをかんじます。

 

今回の話をきいて、古典が身近に感じられたというか、楽しむためとかにも積極的に古典を学ぶのも楽しそうだなと感じました。私はゲームしたり本読んだりするのが好きで古典ってそのオマージュ元・元ネタとかになってたりすることが多いなって今回の授業聞いてておもったし、色んな知識ある方が同じものでも別の視点で楽しめるし、人生が豊かになるのかなって。あと、わりと自分の知識とかアタリマエだなあと感じていることがあんま良くないというか見直さなきゃなあ、って思ったりもするので古典を読んであたりまえを疑うのとかも大事かなって思いました。とりあえず途中まで読んで積読になってる古事記から読もうと思います。

 

哲学してみる②

オンライン授業だとただでさえ切り替えが下手なので、授業とそれ以外の切り替えがうまくいってなくてなあなあ感があるなあと思う今日この頃。さて、今回も哲学にふれていきます。

 

まずは須永先生から哲学対話について教えていただきました。

 

哲学対話とは?

☆哲学という営み

知識→親和性があるものを吸収、バッティングするものは消去

哲学=既知の知識をゆさぶる

 

☆哲学的な「問い」

たいていの人にとっては「あたり前」の土台が疑わしく見えたときに生まれる(躓き、立ち止まった時など)

→つまづいていない人にはリアルにみえない

 

☆哲学のメリット=「問い」を立てるスキルの向上

問いを立てるスキルとは?

・簡単に分かったと飲み込まないスキル(否定的受容力)

・なじみのあるものを異化

 

☆「問い」をたてることの重要性

問いは思考力を支える「背骨」

問いは鎧を解体するときのカギ

魅力的な問いは人々を引き寄せる

 

☆哲学対話のルール

・議論でも会話でもない「対話」

・「答えを出さずに問い続けること」が大事なのではない

・自分の言葉でゆっくりはなす

・「もう一度おねがいします」は言ってよい

・結論を急がないこと

 

これらを聞いて、私には前回ブログにも書いたけど、簡単に分かったと飲み込まないスキル(否定的受容力)が必要だなあとおもっているからこそ、哲学的な問いは立てないといけない、必要だと思いました。また、ちょっと驚いたのはルールの中にある「答えを出さずに問い続けること」が大事なのではないということです。なんとなくそういうイメージが哲学にあったので、へえ、と思いました。議論でもないっていうのはちょっと難しそう。そこを割と気にしながら今回はグループで話しました。

 

今回のお題は

1. なぜわれわれは「あなたは差別している」と言われたくないのか
2. 差別をしたくない場合、どうすればいいか?あるいはそもそも、差別はしてしまっても仕方ないものなのか(だとしたら、なぜ世の中ではかくも「差別はいけない」と言われているのか)

 

の二点です。難しい…

私たちが考えたときのメモはこんな感じ。

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まず、1の問題から考えていきました。テキストにも乗ってたけれど、やっぱり不快・嫌いっていわれたくないからだよねってことから、自分を悪者だと思われたくないよねって意見が出ました。自分が大事だよって感情が強い、みたいな。そこから、自分を守るためだよね、って話に。だけど、そもそも差別ってどこからだろう、となりました。テキスト中では定義の提案?がしてあるけれど差別って何だろう…ここでちょっと詰まった感じです。例がよくないかもだけどいじめとかみたいに相手がそう思ったらそうなんだろうかと思ったり。深いと感じて行動に移してしまった(言葉に出す、手足がですなど)なのかなあと落ち着きましたがそれにしたってラインが難しい。

 

そこから時間もないしで2へ。そこでは私たちは差別をしないということは難しいんじゃないかな、と思いました。それは、相手を不快に思わないなどというのはむずかしいから。心に秘めたり表に出さないようにするしかないよねってなりました。じゃあなんでいけないって言われちゃうの?ってなると自分自身の命や生き方に関わってくるというのが上がりました。そして、そもそもとして小さなころ、そういう差別を無意識にしちゃいそうなころから大人たちにそう教えられてくるかではないかと。でもここのいけない理由の自分自身の命とかもだけど差別の規模感(クラスとか世界とか?)でも変わりそうじゃない?みたいな感じでまた差別ってなんだ…?に戻りました。時間がいくらあっても足りない感じがするなあ。

授業後に個人的には、自分のうちにあるまでは差別ではないとしても(行動に移さなくても)無意識にでも差別に当たることを思っちゃったら態度に知らずしらずでるものだからこれも差別なのか…??ともんもんとしたりしています。難しい。

 

そんなこんなで割と少人数ではなしていくとちょっとした視点や受け止め方の違いがあって難しいけど楽しいなあ、と思います。始終難しい、むずかしい、言ってましたがなかなかタブーというか、差別とかって内容はこんな機会でもなければ人と素直にはなせないからすごく貴重な体験かもなあ、って思ったり。春休みに読んだ「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の内容も思い出しながら私たちに必要なお題なんだろうなとも。もっと時間かけて、他の人の意見も聞いてみたいなあともおもいました。ブログよも。

哲学してみる

割と楽しみにしていた哲学の授業がやってきました。商学部に入って、こんな風に哲学などに触れられるようになるとは思ってなかったので、かなりうれしい。難しいけれど、他の人の意見などをみたりしながら頑張ってみたいです。

 

A悪意は人を鍛え、かつひとを滅ぼす

がーっとチームで読んでいって、最初に思ったことは、かなり筆者の考えに納得・同意できるな、と思いました。もちろん、難しくて納得いかない・わからない部分もありますが、今回自分が引いた線は「メウロコ」「スゴドウ」ばかりです。チーム内では私が「スゴドウ」にした部分に「ナツイカ」にした人とかもいて、私自身が文章が読めたうえで理解して同意しているのか、読めてなくて理解しきれてないままそういうことだと思い込んでしまっているのか?っていう疑問・問題点も出てきました。なんとなく本などを読むときにそれは違うとか批判的に読むなどの能力が低い気がしているので、文章ちゃんと読めてないんじゃない??っていうのは全編にわたって思いながら読んでいて哲学わからん…。って感じです。

 ざっと読んだ感じ、

・広い意味での攻撃性=悪意を一掃するのを目標にしてはならない

・悪意の中にこそ豊かさがあるのだから、自他の心とうまく付き合うべき

って解釈(最後にまとめてあるけど)はとても個人的には同意できます。

 

ここからは細かく気になったところとか。

「動機によって正しい行為と誤った行為を区別することは有効ではないだろう」

という部分は私はなるほど、と思いました。個人的には動機は推し測られるべきだとは思うんですが、例えば他人に傷を負わしたときただ、相手が憎いから、相手に身内が傷つけられたからでも動機がどうであれ結局はやってしまったことには変わりないので。100%同意ではないけれどそういう考え方も納得できるな、と。

「「文化」は自他を攻撃し破壊し、他人を排除し抹殺し、他人に嘘をつき騙したぶらかし利用するところに、ある集団を尊敬し別の集団を軽蔑するところに成立するのである」

言われてみればな、と思います。これより後の味方とか絆とかの部分も併せてですが、悪意による差別がないとこれらが成立しないのは納得できます。でも、個々の別の集団を軽蔑とかは悪意というか相対的にそう見てしまうというか無意識に?みたいな感じもあるんではないかと思うんですけど、敵(悪意をこちらに向けてくる存在?)がいるからこその絆みたいなのは戦争みたいなことから、部活みたいなことまで言えるのかなって。この解釈があってるかわからないけど。

 これらを考えていくと私たちの営みって確かに悪意がなければ文化とか発展しなかったわけで。でも、その悪意による差別は良いものとは言い難いから(必要ではあるけれど)それらをどう対処するかが大事というのは分かる気がします。人々が団結するためには共通の仮想敵が必要とかっていうのも聞いたことあるし。必ずしもすべてをなくしていいってわけではないだろうなと思います。

B快・不快を統制する社会の恐ろしさ・差別感情 

「不快に感じられたくさえない」や「人為的にどうにかしてはならない」というところは納得できるかなあ、と思います。だからこそ、

・差別論は個人の快・不快には立ち入らない

・だが、現実には差別意識は個人の快・不快の延長上に存在する 

が大事であるけど難しい。だけどある組織において、の例は憎むというのはないことはないだろうけど個人的にかなり極端というかどうだろうと思いました。そこまで思うのかな。あり得ることではあると思うんですけど。

「差別に基づいた感情、ある社会的劣位グループの構成員であるがゆえに一律に不快に思うという感情のみを差別感情とする」

という部分はなるほどと思いました。境界設定は確かに難しいけれどこれらは現代でも確かにある、ものもののことに言えるのではないかと思ったからです。

「差別に対して社会統制が厳しくなればなるほど、こうしたいわば内的統制としての感情統制もまた厳しくなる」

というのも納得です。確かにそうで、でも差別にたいして社会統制はある程度必要だとは思うけど感情統制のことを考えたらどんなふうにしたらいいんだろう。だからこそ悪意の制御が必要なんだろうかな。

ただ、不快を表だししないように賢くふるまっているだとかの部分は少し引っかかりました。それに関して社会的に葬り去られるからそうする、というのはどれだけの人がそこまで考えているんだろう、って。きっと文章にあるように考える人もいるけどだからしないというより暗黙の前提であるんだろうけど無意識じゃないのかなと思います。駄目っていう刷り込みというか。

 

C帰属意識アイデンティティ

Cは納得できる部分も多く、たぶんそうなんだけどなんだか個人的に引っかかるというかもにょる感じがします。言語化できない…。特に気になったのが筆者の地元への帰属意識について書いてある部分です。故郷に何の愛着を感じない人がいてもいいと思うけれど、相対的に見れる人が愛着もない人を断じて「許しては」くれないというのはどういうことだろうか?これがわからないのは、わたしがなんだかんだ故郷が好きである程度の人がそう思っていると考えるからだろうか。子の考えこそが鈍感な善人??

家族の愛に包まれることは、すべての幸福のうち最大の幸福と信じ切っている」

個人的にはこれが最大の幸福だとは思ってないんですけど、その後の正統派であると確認しあっているの部分は確かにそうかもと思えちゃって(実際にそんな会話するし)確かに家族とうまくいってないと聞いたりするとかわいそうって思ちゃうんだけれど(大変・苦労してるんだなっておもう、というか他に形容できる言葉を私が持ってない)実際私はきづいてないだけでそう思ってしまっているのかなあ、って。だからこそ「あなたはすでに(潜在的)加害者なのである」という言葉にめちゃくちゃ納得したんですがこの言葉が重たいなと。あたりまえだけど、一人ひとりの「普通」が違うことって知識としてあったはずなんです、自分の中では。よく題材になることだし、日常でも例えば福岡に来たときとかにもあったのに、こんなにこの一文が重たいと思ったのは意識できてなくて自己批判精神が自分になかったことの表れなのかなと思ってしんどい。だからこそコミュニティの中で帰属意識があるからこそ差別感情が悪意なしに生まれるということにすごく同意しました。

 

D良いことを目指す態度

「こうした価値を教えこまれた子供が、これらを目指していない者、実現していないものを蔑むようになる」

私はとても納得できるなあ、と思いました。この後に書かれているように見下してはならないと教えることは難しいし、絶対にこんな風に考えない人もいると思います。けれど、私自身そう思ってしまう場面って今までたくさんありました。(私が勉強できたりするいい子であったわけではありませんが)私自身人格者ではないっていう部分もありますが、決められたルールを何回も破る人を見たときとかはどうしようもなく差別してしまった覚えがあったり、勉強があまり得意でない人をあざ笑うような場目に出くわしたこともあって、確かにこれらは差別であるといわれればそうであるし、今の自分が最後の問いかけである「成績も悪く、素行も悪く、怠け者であるB君をそれでも「人間として」尊敬しなさいという教師の言葉は、果たしてどのくらい子供たちの心に訴えうるのか」ということをいわれても難しいなと思ってしまった時点で差別が知らず知らず身についているなと痛感しました。

 

めちゃくちゃ難しく、なんだか個人的には納得できる部分が多い文章だった上に心当たりありすぎて自分が悪意のある人間で差別を無意識にしてた可能性が高くてめちゃくちゃなんというか体力気力持っていかれた感があります。特に後半…。哲学難しいけれど、自分に欠落してた部分が学べたり、自分自身を見直せたりしたので興味深いです。もう少し考えながらみんなのブログ見てみようと思います。

退屈と暇ってなんだろう

ゼミがありました。なんだか久しぶりにゼミのことを書きます。ゼミはみんなのプレゼン聞いてるとほんと色んなことチャレンジしてて、自分趣味のことしかしてない‼すごいなあ、もっと違うことしたほうがいいんだろうかってちょっと思ったり焦ったりしながらこの数回受けてます。今回のお題は退屈と暇についてです。

 

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今回、この図で別れて話をしたんですが、私は即答で3番でした。正直、あんまり暇、退屈って思った(意識した?)経験がないかもです。めっちゃ長い校長先生の話とか高校生の時は思いましたけど。今も課題あるしやりたいこともいっぱいあって楽しいから3だな!って感じでした。

 

退屈について

話した中で、退屈は楽しくないってことじゃないかって話が出ました。そして精神的なものみたいな。本人がどう思うか、満たされているかみたいな…

よく本とか文章中に出てくる退屈って刺激がない、面白いことがないみたいなイメージが個人的にあって。今回最初の図を見たときに私は、友人と話す予定やゲームしたり趣味に何かしら触れられていて毎日たーのし~‼て思うから3だな、ってところから楽しくないっていうことがストンときました。楽しいことって刺激的だったり、面白いことだとおもうし。精神、こころ的なものっていうのもなんとなくわかる気がします。やりたいこと・好きなことができたらたのし~!みたいなのも結局精神的な気持ち?みたいな感じかなって。

 

暇について

私は最初のグループで話した時の、

課題とかやることがある→暇じゃない!

って考え方でした。やりたいこともやることもあるし暇じゃない、って個人的に思ってたら、2回目のグループで話したときに、

(課題とかやることはあるけど)時間に余裕がある→暇

って考え方を2の人はしていて暇の捉え方が違うということに気づきました。とらえ方が違うなら、暇っていうのも納得できます。授業が終わって色々考えていくと、時間があるから暇だとしたら、私は暇なのかな、って思い始めました。私は今やらなければいけない課題があって、やりたいことも沢山あります。でも、「暇?時間ある?」って言われたら「暇!」って多分答えます。やらなければならないことやりたいこと、沢山あって生きる時間が足りない、って思うけれど時間は作れるよなって。

こう考えていると、私が暇じゃないっておもうのは捉え方、気持ちの問題なのかなって思いました。やること(予定や課題)があるともう個人的な感覚で暇じゃないって思います。でも時間的にはそれで一日終わるわけでないから実際は数時間は暇が発生するわけで。やりたいことがあるから暇じゃないっていうのも、それをやったとしたら時間が足りない→暇じゃないってことで仮定の話で物理的な時間は暇の状態、みたいな…言語化うまくできない…

逆に今まで自分が暇って考えるシュチュエーションって何かしたくてもできない瞬間(朝礼の長い話)1日空いてて何もすることが思いつかない状態で精神的に空っぽみたいな感じのもので、確かにこれは時間に余裕があって、なおかつ精神的にも何にもないっていう感情的なものでもあるかなって思います、よくわからんくなってきたなあ。

 

なので、まとめるとしたら、暇も退屈も割と精神的で感情的なものかなと。暇は時間が物理的に空いてるか精神的に空っぽ(自由?)なのかなと思いました。空っぽて表現は良くないかも。

 

なんかよくわからんくなってきましたが、もしかしたら私は2になるのではと思いつつ他のゼミ生のブログを読んでもうちょっと考えてみようと思います。ではこの辺で。

5/8 インターン14回 掲示板を作ろう②

オンラインインターンにも慣れてきました。授業もまだ違和感があったりはしますがだいぶオンラインになじんできた気がします。さて、今回はメモ程度ですが掲示板製作の続きです。

①日付を表示できるようになった
前回からの進歩はここかな、って思います。前回色々やってもできず、お手上げ状態だったのですが、色々なサイトの解説とかを見ていって「もしかして…?」ってためしていったら実装できました。

function writeData(){
    $personal_name = $_POST['personal_name'];
    $contents = $_POST['contents'];
    $contents = nl2br($contents);
    $date = date("Y/m/d H:i:s");
    
   

    $data = "<hr>";
    $data = $data."<p>投稿者:".$personal_name."</p>";
    $data = $data."<p>".$date."</p>";
    $data = $data."<p>内容:</p>";
    $data = $data."<p>".$contents."</p>";
    

    $keijban_file = 'keijiban.txt';
    $fp = fopen($keijban_file, 'ab');

    if ($fp){
        if (flock($fp, LOCK_EX)){
            if (fwrite($fp,  $data) === FALSE){
                print('ファイル書き込みに失敗しました');
            }

            flock($fp, LOCK_UN);
        }else{
            print('ファイルロックに失敗しました');
        }
    }

    fclose($fp);
}

これは前回掲示板を作ったスクリプトに今回日付が出るように2行コードをいれたバージョンです。書き出しと書き込みの部分にそれぞれ

$date = date("Y/m/d H:i:s");
$data = $data."

をいれることで日付が出るようになりました。前回色々試していた時は、どちらかにかしか命令を入れてなかったのが原因でうまくいってなかったぽい。あれだけ悩んで二行で解決したな~!!と思いもしますがめちゃくちゃうれしい。

②削除機能がわからない
削除機能って調べたら色々出てくるのですが、色んなややり方があるのでどうやって今の掲示板のスクリプトに適用させていけばいいだろう。と試してもなかなかうまくいかず難しい。もっと、いろいろな書き方とか命令とかがわかるようにならないと、自分で考えて入れていくのは難しいなとかんじます。

③なんとなくのデザインがきまった
色とか、雰囲気とかこんな感じがいいね、っていうところまで決まりました。次はみんなで案を持ってきて実装していきます。


めちゃくちゃメモ程度ですが、インターンしていく中で実際にいろいろしてみるの大事だなあと思いました。スクリプトも実際にしてみたり、色々みていくと、もしかしてここでこうすればいける!?っていうのがわかったり。でもまだまだ何がわからないかわからない状態もあるので試していくしかないのかなあ、と思います。頑張ります。