なまけもの活動日記

ゲームや音楽、サブカルチャーがすき。

もう気づけば7月です。物凄くこの半年間は体感短かったなと思います。ほぼ家にいたからでしょうか。さてさて今回も古典のお話を聞いていきます。

 

君の名は。を古典から見てみる

 君の名は。は好きな映画なのでわくわくしながら受けました。天気の子はもっとすき。個人的にはめちゃくちゃ色と言葉がきれいな映画だったなあ、と思います。RADが好きで見に行ったら映画の色々なもののきれいさに驚いたことを覚えています。なので今回どんなふうに古典から見ていくのだろう、と思っていたら、今回はどんな古典文学が元になっているかから見ていく形でした。

 

 そして、主な題材となったのが「とりかえばや物語」と「夢としりせば」です。もともと、この映画の企画書は「夢と知りせば(仮)ー男女とりかえばや物語」だったそうです。

とりかえばや物語

私はの方はたぶん初めて知りました。内容は男女の兄弟が入れ替わるモノみたいですが、最終的には元に戻るそう。君の名は兄弟ではなかったけれど確かに踏襲してる。少し興味があるので今度読んでみたいなと思います。

「夢としりせば」

これは小野小町がかいたもの。これはどこかで教科書で見た記憶があります。

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
想いながら眠ったのであなたを夢に見たのでしょうか。夢と知っていれば目を覚ますことはなかったのに

古今和歌集にのっている夢三部作の一つ。確かに夢の中で主人公たちが出会うところもこの歌をイメージさせますね。またこの歌は珍しい当時とは逆のパターンだったようです。夢というのは不思議な出会いのことという認識だったみたいですがこのころは

夢に出てくるのは相手が自分を思ってくれるから

というパターンですが

自分が思っているから相手が夢に出てきた

という考え方みたいです。確かに女性のもとへ男性が通うような時代では珍しいけど評価を受けたってことはやっぱり共感したりこの考え方が琴線に触れたんだろうな。どちらかというと後者の方が現代でもよく考えられるパターンではないでしょうか。そう考えるとものすごい影響力です。

 

ストーリーの引用・変奏

 これは今回お話されたテーマです。なんでも、物語が変奏される背景には、写実者が本文に書きたすという行為があったようで。私は初めてこれを知ってびっくりしました。だってそれは最初のストーリーが失われる可能性があることであり、筆者が書きたかったものじゃないかもしれないし、現代では到底できない行為です。ですが昔は本を読む→本を書く→内容を変える、というのは割と自由な行為だったみたいです。良ければいい、みたいな。とりかえばや物語も無名草子も書き換えられたみたいで、初めはどんなだったんだろ…って思います。でも、現存してる物語も実はオリジナルとは異なってるのかも、って考えたらちょっとロマンがあるかもです。なんだか異なったりしてるというのはグリム童話みたい…と思いました。

 

課題「物語を引用・変奏しながら表現したい内容は何でしょうか」

私は、何かの物語においてそれに他の物語を引用・変奏しながら表現したいことは、元の物語における空気感とか価値観なのではないかと思いました。それを肯定するにしても否定するにしても、作品に引用してくる物語の考え方だったりを持ってくることでイメージだったり雰囲気を表現したいのかと思います。また、その作品が古典のような遠い昔のことであるなら、当時の価値観などと比較するような役割も持っているのではないでしょうか。

君の名は。で考えてみようと思います。この作品だと、「とりかえばや物語」を持ってくることで男女の入れ替えを表現しています。また元の性別に戻るところも同じです。ここから、とりかえばやは親が望んだという一端があっても、性格が男「らしい」女「らしい」(あんまりこの表現は好きではありませんが)が実際の性別と違う兄弟は「自分が違う性別だったら」と思ったことがあるのではないでしょうか。君の名は。の主人公達もそう思ったことがあるかもしれないとも思いますが、彼らは性別+「違う自分(人間)になりたい」と思っていたのではないかと思います。三葉が「来世は東京のイケメン男子にしてくださいー!」って言ったのがすごく印象に残ってますしそう言えるんじゃないかなと思った理由です。

だから私は一つに、「違う自分に(性別や環境など含め)なりたい」と昔から人は思っている。ということが表現したいことの一つだったのかなと感じます。私も思ったことあるし、現代でも思ったことあるはずです。別の人間や性別への憧れ、そして実際にそうなったら?ということ、元の性別になることからもしかしたら最後は自分に戻る、どんなに願ったとしても自分以外にはなれないというある種残酷なことも表現しているのかな、と思いました。だからこそ君の名は。では二人の主人公が未来・過去を変えるために自分としてできることをやっていたのかな、と。

「夢としりせば」から考えます。これはこの歌の雰囲気を持ってきたかったのかな、と思います。夢で逢う、もしも、入れ替わりが唐突になくなるなら覚めなくてもよかったとか。夢であうという独特な雰囲気を表現したかったためではないでしょうか。または、女性から行動する(考える)ということも、君の名は。では男女二人の主人公が行動を起こしていたこと、男性だけが動くのではない、女性だって行動する、みたいな表現をしたかったのだろうか、また入れ替わりを夢を見ている、と作中で表現したことから歌が持つ独特の儚さのような空気感を表現したかったのかな、とも思いました。

最後に、黄昏時のようなものも含めて古典を持ってくることでタイムパラドックスもの時間がゆがんでいる独特の時間の概念みたいな空気を表現したかったのかな、って思います。うまく言葉にできませんが…

 

こんな感じで色々考えましたが、難しいなとおもいます。よくオマージュしたりする物語はあって、元ネタだ!と読むことはありますが、ここからこの単語や表現は来てるな、とは思ってもじっくり考えたことはなかったのであたまこんがらがってます。でも、古典を普通の授業では見れない角度から見れるのは本当に色んな発見があって楽しい。次回も楽しみです。