なまけもの活動日記

ゲームや音楽、サブカルチャーがすき。

古典をしてみる

レポート苦手すぎて日々時間をレポートに吸われています。一個終わったら一個新しく来るのエンドレス感がやばい。そんな中、古典をゼミでやることになりました。

 

今回教えてくださるのは大阪工業大学の横山先生です。まず最初に、古典についての質問をいただきました。

古典は本当に必要なのか?

まず初めに私は古典が個人的には好きな方です。というか国語が好きなので、古典もって感じです。でも現国の方が好きで、古典は物語として読むなら好きだけど、文法だとかテストだとかになってくるとあんまり進んでやりたくはない、って感じ。なのでどんなイメージ?って聞かれたら文法とかがやばい教科ってイメージが先行してしまいます。そして古典は必要なのかっていわれたら、私は必要じゃないかなあ、と思います。でも日ごろ使うことはないものでどう必要??って言われたらちょっと困るけど、ちょっとした古典のものとかは知識としてあると会話が楽しかったりするイメージがあります。歴史とかもそうかな、個人的な体験かもですが。というよりは読み物が好きだから必要って思うのかも?

私たちにとって古典とは

昔のことを知るもの、というイメージが一番強いです。でもって読み物。私の頭の中にはたぶん個人的な古典のイメージが2つあって、授業としての古典と読み物・雑学などとての古典みたいに分かれているのかなと思います。だから上にイメージになるのかな。

古典を学ぶ理由

上の質問とも被るけど先生があげてくださった理由の回答として、

・面白い・楽しいから

・日本のアイデンティティ

・現在を逆照射する、近代を相対化できる

・今の「当たり前」を疑える

なるほどなー!!って思いました。何方かといえば上二つのイメージが個人的には強くて、した二つのイメージはそんなになかったんですけれど、意識的に読んでいけば下の二つって古典でしか(歴史でもできるけど、古典の方が)できないことだよな、って思います。意識してなくても、登場人物とかの行動に対して「ナンデ??」とか古典読んでて思うことはあったなあ、って思いだしたりして確かに凝り固まった当たり前を疑うには大事のものかなと思いました。

 

徒然草 硯にむかひて

今度は徒然草の最初の一節をみて不思議に思うところは?という問いをされました。正直さっぱりわからん!!って感じ。訳も高校の時とかにやってるからか思い出せるし、解説もしてもらってたので不思議ってなんだ?って感じでした。ここで引っかかて欲しかったのは「硯にむかひて」部分らしいです。言われてみれば確かになんで机じゃないんだ!?って思いました。現代で言うと鉛筆とかになるんだろうか。わかんないけど確かに違和感があります。私の中では硯という言葉だけですでに頭には硯が机と紙とセットで情景描写されていたから気付かなかったのかな。じゃあ、これをどう分析する?ってなった時に2つやり方があるみたいです。

・前の時代の人がどんな表現の仕方をしたかを調べる

・その作者が同じ表現をしていないか

で調べたりするみたいです。2つ目は私もよく歌詞とか本とか、色んな好きな作家さんとか作詞家さんが良く使う表現だなあ、と気になって調べたりすることが多かったんのでコメントしたのですが古典においても同じようでなんかうれしい。上のやつも説明聞いていくうちによく本でみた…!!って感じで、今も昔も変わらないのかな、って思いました。本歌取りみたいな感じなのかな。そしてここで出たのが米津さんの「Lemon」です。いきなり好きな歌手が出てきてめちゃくちゃ動揺しました。この曲は高村幸太郎さんの「レモン哀歌」を引用しているとのこと。記事読んでたのにね…引用元の名前が思い出せずちょっと悔しく思いながらお話聞いてましたがすごく身近に古典というかその手法というかをかんじます。

 

今回の話をきいて、古典が身近に感じられたというか、楽しむためとかにも積極的に古典を学ぶのも楽しそうだなと感じました。私はゲームしたり本読んだりするのが好きで古典ってそのオマージュ元・元ネタとかになってたりすることが多いなって今回の授業聞いてておもったし、色んな知識ある方が同じものでも別の視点で楽しめるし、人生が豊かになるのかなって。あと、わりと自分の知識とかアタリマエだなあと感じていることがあんま良くないというか見直さなきゃなあ、って思ったりもするので古典を読んであたりまえを疑うのとかも大事かなって思いました。とりあえず途中まで読んで積読になってる古事記から読もうと思います。