なまけもの活動日記

ゲームや音楽、サブカルチャーがすき。

退屈と暇ってなんだろう

ゼミがありました。なんだか久しぶりにゼミのことを書きます。ゼミはみんなのプレゼン聞いてるとほんと色んなことチャレンジしてて、自分趣味のことしかしてない‼すごいなあ、もっと違うことしたほうがいいんだろうかってちょっと思ったり焦ったりしながらこの数回受けてます。今回のお題は退屈と暇についてです。

 

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今回、この図で別れて話をしたんですが、私は即答で3番でした。正直、あんまり暇、退屈って思った(意識した?)経験がないかもです。めっちゃ長い校長先生の話とか高校生の時は思いましたけど。今も課題あるしやりたいこともいっぱいあって楽しいから3だな!って感じでした。

 

退屈について

話した中で、退屈は楽しくないってことじゃないかって話が出ました。そして精神的なものみたいな。本人がどう思うか、満たされているかみたいな…

よく本とか文章中に出てくる退屈って刺激がない、面白いことがないみたいなイメージが個人的にあって。今回最初の図を見たときに私は、友人と話す予定やゲームしたり趣味に何かしら触れられていて毎日たーのし~‼て思うから3だな、ってところから楽しくないっていうことがストンときました。楽しいことって刺激的だったり、面白いことだとおもうし。精神、こころ的なものっていうのもなんとなくわかる気がします。やりたいこと・好きなことができたらたのし~!みたいなのも結局精神的な気持ち?みたいな感じかなって。

 

暇について

私は最初のグループで話した時の、

課題とかやることがある→暇じゃない!

って考え方でした。やりたいこともやることもあるし暇じゃない、って個人的に思ってたら、2回目のグループで話したときに、

(課題とかやることはあるけど)時間に余裕がある→暇

って考え方を2の人はしていて暇の捉え方が違うということに気づきました。とらえ方が違うなら、暇っていうのも納得できます。授業が終わって色々考えていくと、時間があるから暇だとしたら、私は暇なのかな、って思い始めました。私は今やらなければいけない課題があって、やりたいことも沢山あります。でも、「暇?時間ある?」って言われたら「暇!」って多分答えます。やらなければならないことやりたいこと、沢山あって生きる時間が足りない、って思うけれど時間は作れるよなって。

こう考えていると、私が暇じゃないっておもうのは捉え方、気持ちの問題なのかなって思いました。やること(予定や課題)があるともう個人的な感覚で暇じゃないって思います。でも時間的にはそれで一日終わるわけでないから実際は数時間は暇が発生するわけで。やりたいことがあるから暇じゃないっていうのも、それをやったとしたら時間が足りない→暇じゃないってことで仮定の話で物理的な時間は暇の状態、みたいな…言語化うまくできない…

逆に今まで自分が暇って考えるシュチュエーションって何かしたくてもできない瞬間(朝礼の長い話)1日空いてて何もすることが思いつかない状態で精神的に空っぽみたいな感じのもので、確かにこれは時間に余裕があって、なおかつ精神的にも何にもないっていう感情的なものでもあるかなって思います、よくわからんくなってきたなあ。

 

なので、まとめるとしたら、暇も退屈も割と精神的で感情的なものかなと。暇は時間が物理的に空いてるか精神的に空っぽ(自由?)なのかなと思いました。空っぽて表現は良くないかも。

 

なんかよくわからんくなってきましたが、もしかしたら私は2になるのではと思いつつ他のゼミ生のブログを読んでもうちょっと考えてみようと思います。ではこの辺で。